3.11.2013

この日でなくても、もっと身近に感じているべきだよね。
2013年の3月11日は、前日の黄色い空が嘘のように、日中は少し肌寒く、でも空はすっきりした空色だった。
穏やかで、いらだったりしても、毎日と変わらぬ月曜日で、特別に”生きてる”って喜びをあじわってすごしたりはしていなかった。
お昼をすぎた頃、ちらちらと時計を気にして、黙祷した。
もっときちんと、言葉を並べて黙祷したかった。
ただ、改めて気づかされたことは、わたしは生きてるって事。
当たり前だけど、感謝して、後悔しないように、毎日生きなきゃって。

2011年3月11日の福島は、雪が降っていた。
宮城にご実家がある人がもってきた雑誌は、彼の家が載っている雑誌だった。
どのページをめくっても、自分のなかで消化できなかった。

言葉がつまる。
のどの奥で、つまってる。

できること、もっとあるはず。
GANBAROU NIPPON!

3.11

3.11.2012
午前中は自分の将来の為に学校見学へ
行った先でなんども耳にする3.11ってことば
将来を考えるわたしたちと、対象的にきこえて、悲しくて仕方なかった

午後は、仲間と一緒に撮影へ
寒い中、おともだちへのプレゼント動画を作るためみんなで協力して撮影した
終わって食事中に、今日地震がなかった事をみんなで噛みしめた
ひとりひとりの想いを口々に言葉にして
やさしくてあたたかい仲間に恵まれた事を実感した

夜、黙とうした
目を閉じると、はっきりと思いだした
中継で見た津波の早さ
全てをのみこんでいく止まらない流れ
ただひたすら呆然と眺めるしかなかった映像

あれから1年

おともだちの言葉を思い出す
”あっという間の一年に感じるけれど、被災地の人にとってはどうなんだろう”
”私たちとは違う想いのはず”

被災者の方から聞いたという生々しい話を思い出す
”波にのまれて、必死でもがいて泳いだときに、何人の人とすれ違ったか”

心の中にぽつんと浮かんだ言葉は
”風化させちゃいけない”ってことだった

3.11の福島県相馬市の病院を舞台にした HIKOBAE をみにいってくる

9.11

9月11日はみんなどんなふうにすごしたんだろー
3月11日から半年たって
いまも被災地の津波の後は生々しいけど、そこに緑があるのを見て、じかんのながれをかんじました

あのひから、yuripiso のおともだちとたくさん話して、たくさん考えた
とにかく生きていることに感謝して、やりたいことをやろう
後悔しないように生きよう

時差で、日本の9月11日がおわるころ、アメリカが9月11日になった

9.11.2001: いまとかわらず朝が苦手な yuripiso、なにが起きたのか気づいてなかった
Class へ行ったら、先生が泣きながら教室にはいってきた
とんでもないことが起きているっていうのがわかっても、どうしたらいいか分からなかった
開放されてるPCルームへ行って日本にメールを送っていたら、その日は閉鎖されることになった
その日、くりかえしなんどもなんどもTVからながれる映像をみた
飛行機がビルのお腹へ ビルからあふれ出す煙 雨より激しく路上を打ち砕くようなビルの破片 人々の叫び声 悲しみの声
NYにいるおともだちと連絡がとれてほっとした
それからアメリカはテロの警戒度が Yellow、Orange、Red と信じられないたかさにかわる
yuripisoが ground zero へいったときは、Orange や Red であたりまえだけど空港にはライフルを持ったアメリカ兵がみまわりをしてた
ついでにNYでゲットした超巨大スーツケースは、NYからの移動の際に鍵をぶっ壊された
I ♥ NY ステッカーはその鍵を直す時にむざんにひきはがされた

後悔しないように生きよう
ステッカーはまたはっつけた