コエボンラジオをお聴きのみなさんこんばんは。

「女優オノユリの映画の話をしましょうよ」のお時間です。

桜が開花しましたね!梅が咲いている時期は、まだ寒さと戦っている感があり、寒い中あのこぶりなお花をみて「わぁ…かわいいなぁ」なんてコートのポケットから手を出して、なるべく肌を外気に出したくないものの、あの梅の健気さに、色づいた蕾に心くすぐられて写真を撮るのですが、桜になると一気に様相が変わってきますよね。心がぱぁぁと、ほよよん、と春になる感じ?心のなかにも桜前線がつづいていて、脳みそも桜色に染められていくような感じがあり、気候もぽかぽか鼻はむずむず、あぁ、春だなぁ。と全身が太陽を浴びて喜んでいるような、そんな動物的な感覚がわたしたちヒトにも在るのを感じます。今年は、開花も例年より早いですし、ぽかぽか陽気が続いていて、わたしはこのまま初夏に突入してしまうのでは・・・とちょっと長い夏の予感には不安もよぎります。慌てて全身用の日焼け止めも用意いたしました。

さて、久しぶりにこの映画のタイトルを耳にしまして、「公開日が決まりましたー!」とのご連絡もいただいたので、最新情報をご案内いたします。

映画「種まく旅人〜華蓮(はす)のかがやき〜」井上昌典(まさのり)監督

制作時からお話を聴いていまして、エグゼクティブプロデューサーさんや出演者の方にゲストに来ていただくお話もあったのですが、自然災害やコロナ禍の影響を受けて、映画の撮影・公開までの道のりがとても困難そうでしたので、無力なわたしは、応援する気持ちを送り続ける、にとどめておりました。

もともと「種まく旅人」は「種まく旅人 みのりの茶」を2011年に 塩屋俊監督 が第一弾として撮られたシリーズの作品で、塩屋俊監督がわたしのお芝居の恩師なのです。「種まく旅人 みのりの茶」には、このラジオにも何度か出演してくれている美しいヒト本間愛花さんも釣り人で出演している作品です。種まく旅人は 塩屋俊 監督 の「願い」で、その「願い」をずっとエグゼクティブ・プロデューサーの北川さんが引き継ぎ続けて、念願が叶って今年公開される第4段「種まく旅人〜華蓮(はす)のかがやき〜」井上昌典(まさのり)監督です。

3月26日(金)石川県先行公開、4月2日(金)全国順次公開 となっております。わたしも舞台挨拶の日にお伺いしますので、また感想などお話いたしますね。ご興味持っていただけると、とても嬉しいです。

そして、本日の映画は先週に引き続き、邦画のお話をしましょうよ(後編)と言うカタチで邦画のお話をしようと思います。作品は本日も2作品。まずは・・・

夜明け

2019年製作/113分/G/日本

監督・脚本:広瀬奈々子 監督

物語

是枝裕和・西川美和監督が立ち上げた制作者集団「分福」が満を持して送り出す新人監督、広瀬奈々子。オリジナル脚本となる本作では、ごく普通の人々の人生を丹念に見つめながら、その奥にある複雑さ、人間の多面性を鋭く大胆な切り口で映し出す。公開に先駆けてのプレミア上映となった東京フィルメックスでは、その才能を高く評価され、見事スペシャル・メンションを受賞。韓国、ベラルーシ、アメリカ、フランス等各国の国際映画祭から招待が相次ぐなど、日本映画の新鋭として世界から熱い注目を集める存在だ。

地方の町で木工所を営む哲郎は、ある日河辺で倒れていた見知らぬ青年を助け、自宅で介抱する。「シンイチ」と名乗った青年に、わずかに動揺する哲郎。偶然にもそれは、哲郎の亡くなった息子と同じ名前だった。シンイチはそのまま哲郎の家に住み着き、彼が経営する木工所で働くようになる。木工所の家庭的な温かさに触れ、寡黙だったシンイチは徐々に心を開きはじめる。シンイチに息子のような感情を抱き始める哲郎。互いに何かを埋め合うように、ふたりは親子のような関係を築いていく。
だがその頃、彼らの周りで、数年前に町でおきた事件にまつわる噂が流れ始める──。

秘密を抱えた主人公シンイチを演じるのは、『ディストラクション・ベイビーズ』『銀魂』シリーズ等、作品ごとに変幻自在の演技を見せ、役者としてさらなる進化を遂げる柳楽優弥(ヤギラユウヤ)。是枝裕和(これえだひろかず)監督作『誰も知らない』でカンヌ国際映画祭史上最年少の主演男優賞に輝き、衝撃のデビューを飾った柳楽優弥が、14年の時を経て是枝監督愛弟子の作品に主演する、まさに“運命の映画”。哲郎役には、圧倒的存在感を放つ小林薫。ほか実力派俳優がしっかりと脇を固める。

たったひとりの ふたりが寄り添った、人生の逃避行。
昨日を終わりにするために、新しい夜明けを迎えるために─。
弱くて切実で、たまらなく愛おしい人間の営みが観る者の心を震わせる作品(映画『夜明け』公式サイト:https://yoake-movie.com/

映画の話をしましょうよ

今週も2作品お話するかなやんだのですが、こちらの 広瀬奈々子 監督「夜明け」を鑑賞して、作品について調べたところ、是枝裕和・西川美和監督が立ち上げた制作者集団「分福」が送り出す新人監督の作品との事で、ちょうど先週西川美和監督の「ゆれる」のお話をしていたので、勝手に 重たくない運命を感じまして、今週のお話に加えさせていただきました。先週から、邦画のお話を続けている中にも、わたしなりのテーマがあります。「家族」です。その「家族」の中でも、寅さんシリーズのような町全体が家族のようなあったかい物語とは異なり、「家族」だからこそ持ち続けてしまう切れない想い、であったり、現代的なしがらみであったり、を切り取ったような作品を選んでおります。はい、もうただたんに、自分が撮影に加わる映画の影響であります。自分に足りない人生経験や衝動を一生懸命吸収しております。常に修行の身であります、オノユリです。

広瀬奈々子 監督「夜明け」は、派手な作品ではないですが、柳楽優弥さん演じる「シンイチ」が丁寧に描かれているのが、気づけば小林薫さん演じる「哲郎」の話となっていて、作品の結末がどうなるのがこの映画の最も好ましいエンディングなのだろうか…と心を痛めながら見守っていました。そして、「うわわ…これー??うおぁぁ」なんて天を仰ぐ気持ちになりましたが、そこに「夜明け」がみえて、日が昇るのを神聖な気持ちで見守る面持ちになり、映画の全てがするりと心に落ちてきたのを感じました。映画の感想は10人10色なので、同じ感想を持たれる方はいらっしゃらないと思いますが、神聖な夜明けを見守る気持ちが味わえる作品かな、とおもうので、ご興味持たれた方は 広瀬奈々子 監督「夜明け」を見守ってみてください。

そして、今回の「映画の話をしましょうよ」邦画シリーズ、テーマ「現代的な家族の、家族だからこそ抱える問題」の中で最もわたしの中で重たくて、ずっと体の芯からずーんと引きずり続けてしまっている作品のお話をしようと思います。この映画を観るのに、抵抗があって他の映画を見ながら徐々にこの映画に近づいていったような、そんな日々でした。

子宮に沈める

2013年製作/95分/日本

監督・脚本:緒方貴臣(オガタタカオミ)監督

「子宮に沈める」公式サイトより、緒方貴臣(オガタタカオミ)監督の書かれているイントロダクションがあるので、そちらをご紹介いたします。

イントロダクション

「女性には元々、母性が備わっている」、「子どもを産めば、母性が沸いてきて、自然に子どもの世話をしたくなる」とよく言われます。これは“女性にとって母性は、本能である”、また本能であるがゆえに“女性は常に母性を感じる”ということなのでしょう。「ダメな母親だ…」と、母親が自分で自分を責めたり、夫、家族、友人、近所の人など、周りの人から「母親のくせに」と非難する風潮はこの考え方が根底にあるのかもしれません。現在、この「母性神話」の崩壊が叫ばれています。

2010年、夏。大阪市内のマンション、大量のゴミに埋もれた一室で幼い女児と男児の遺体が見つかりました。マスコミは連日のように、この事件を取り上げ、容疑者であり、遺体で見つかった2児の母でもある下村早苗を非難しました。この事件のニュースを知った時、私はショックを受けると同時に、マスコミや世間の一方的な母親へのバッシングに違和感を感じました。そこには、私の妹が19歳でシングルマザーとして家事、育児をしながら、肉体も精神も疲弊していく姿を見てきたからかもしれません。

この大阪での衝撃的な事件と同様に、世間やマスコミは、似たような事件が起こる度、母親らしからぬ行動をしたとして被告の母親を批判し叩きます。確かに、これらの母親の行動は、身勝手としか考えられないかもしれません。
その一方で、母子世帯は行政からの支援があるものの、二親の家庭に比べ、経済的・精神的に不安定なケースが多く、女手ひとつで仕事しながら育児をする母親たちの陰の苦労は多くの人の知る所ではありません。経済的な面を見ても、母子家庭の約60%が貧困層にあたるそうです。にもかかわらず、世間からのシングルマザーへの偏見は強く、「貧困に陥るシングルマザーの大半は甘い、堕落(だらく)している」という見方が多く存在しています。

私はこれらの母親たちに対して擁護をするつもりはありません。
ただ思うことは、「特殊な家庭だけに起こる、別世界の出来事」ではない、ということです。
事件を起こした親や加害者を凶弾するだけでは問題の解決にはなりません。
これらの問題は社会全体を巻き込んで、考察していくことが重要だと考えています。
私は、この題材の取材を進める中で、これらの事件の背景には、低学歴や貧困による“情報からの阻害”、社会保障の不備の隙間を突く“身近な風俗産業”が関係していると考えました。
本作品では、“母親”と“女”との間で揺らぐ女性(主人公)が、離婚し、ネグレクト(育児放棄)に至る様を、淡々とした日常の積み重ねの中、敢えて弾劾も非難も同情も庇護(ひご)もない視点で描きました。虐待は、身体的、心理的、性的とネグレクト(育児放棄)に分けられ、その中でも、ネグレクト(育児放棄)は外部から気づかれにくいと言われています。今回、マスメディアでは報道されない育児放棄が行われる母子家庭の内部を、住んでいる家の中以外の描写を排除した映画を制作することで、観た人々が「このような事件が、テレビから流れる他人事ではなく、自分の身近でも起こり得るかもしれない」と考えるきっかけになれば、嬉しく思います。

監督・脚本 緒方貴臣(オガタタカオミ)(子宮に沈める公式サイト:http://sunkintothewomb.paranoidkitchen.com/intro.html

映画の話をしましょうよ

いま、イントロダクションをご紹介したとおり、緒方貴臣監督の「子宮に沈める」は、実際に起こった二人の幼い子供が放置されてなくなってしまった事件をもとに描かれているフィクションの作品です。作中には挿入曲がなく、大人の顔はあまりうつりだされることはなく、ある時からカメラのアングルもあまり変わらなくなります。鑑賞後に、自分の中で抑えられない衝動があり、SNSで「子宮に沈める」の感想を色々と探してみました。耐えきれず、何度も作品を止めながら、でも「観て、知らないと」と言う想いに駆られて鑑賞した、という方もいらっしゃいました。

先程も口にしましたが、作品に関する感想は「十人十色」ではありますが、わたしの中の言葉に近い人の感想を見つけると、ホッとしたような気がいたしました。そして、緒方貴臣監督のイントロダクションを読み、自分の中の言葉が異常ではないことに、ヒトとして間違った考えではないのだ…というような、ある意味ハンコをもらったような気がしています。

「子宮に沈める」鑑賞後に、「わたしは彼女になり得る」と感じました。この映画の中で最も怒りを感じた対象は、この子どもたちを放置した母親ではなく、子どもたちの父親でした。

この母親は、そこに「母親に対する言葉で『完璧』という言葉が在るならば」『完璧』に子供を愛する、お料理上手で子どもたちの遊ばせ上手で可愛らしいお母さんです。シングルマザーになっても、資格をとって、しっかり働こうと、仕事と育児を両立しようと奮闘します。ただ、幼い子供はまだまだ手がかかるし、体調もすぐに壊したり…と、おもうようにいかず、友達に誘われて夜の仕事を始めます。新しい出会いがあったり、「お母さん」としてだけでなく「自分の人生」監督の言葉にすると「女」として生きることで生き方が変わってきます。

子どもたちが待つ部屋を観ていたら、なんて狭い世界なんだろう…とおもいました。それは、部屋の広さではなく、母親が子どもたちの育児や家事に専念している時も同じ大きさなんだ…とおもうと、知らぬ間に社会から隔離されている時を過ごしている事に、やりきれない思いがありました。

緒方貴臣監督の「子宮に沈める」は、鑑賞して気持ちのいい作品ではありません。ただ、この映画を鑑賞して、ある事件が他人事ではないと感じると、少しだけでもなにか変わらないかな?と思うのです。ある方の感想で、「自分のせいで奥さんそんなふうになってほしくない…家族を大事にって思わされる」との言葉をおみかけし、この映画を鑑賞した中で救われる想いがしたのでした。

さ、2週に渡り、邦画の家族シリーズをお届けいたしましたがいかがでしたでしょうか?重ための作品ばかり鑑賞していたおかげで、楽観的なわたしも撮影時には色々な重たいことをずーんと考え続けた人間になっていたのではないかと、撮影終わった現在は楽観的に考えております(笑)

次回はどんな映画のお話ができるか、今から楽しみにしております。

また来週、映画の話をしましょうね。

オノユリでした。