湯を沸かすほどの熱い愛

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湯を沸かすほどの熱い愛

2016年製作/125分/G/日本 配給:クロックワークス 監督・脚本:中野量太 銭湯「 幸さち の湯」を営む幸野家。しかし、父が1年前にふらっと出しゅっ奔ぽん し銭湯は休業状態。母・双葉は、持ち前の明るさと強さで、パートをしながら、娘を育てていた。 そんなある日、突然、「余命わずか」という宣告を受ける。その日から彼女は、「絶対にやっておくべきこと」を決め、実行していく。 その母の行動は、家族からすべての秘密を取り払うことになり、彼らはぶつかり合いながらもより強い絆で結びついていく。そして家族は、究極の愛を込めて母を 葬おく ることを決意する。(湯を沸かすほどの熱い愛公式HP http://www.atsui-ai.com/story/index.html)   こんなにも、こんなにも・・・ 例えるならば、気づけば心臓のあたりが始終ぼっこぼっこ沸騰していた。そんな映画でした。 年代によって、映画のどこに、誰に、共感するかによって感じ方が偉く違うと思われます。 杉咲花さんの演じる幸野安澄は気弱な高校生。こんなところに刺客が潜んでおったか…とひとりで身悶えましたが、この映画刺客が多いです。 安澄の台詞ひとつひとつに無駄がなく、わたしは彼女に一番共感しました。 「かーちゃんの血がわたしにも少し流れてた」 例えば、子供がなんらかの理由で不登校なら、逃げてもいいじゃない。わたしはそう思います。それはわたしも学校に行きたくない理由があったし行かなかった事があるから。 しかし、主人公宮沢りえさん演じる双葉は、わたしの持つ考えとは似ても似つかない行動に出ます。 信じる事の怖さを、弱さを、脆さを、熱い愛でひっぺがしてぜーんぶまとめて抱きしめる。 ふつふつふつふつふつふつ知らない間に身体の中を熱せられてました。 わたしは、悲しいかな、それだけの熱量のある愛が足りないらしく、宮沢りえさんに共感はずっと出来ず、とあるシーン以降の最後の最後でまるで女神である宮沢りえさんが人間になったように等身大を感じ取り、全身鳥肌が走り、身体の中は煮えくり返っているのに、全てを振り乱して泣きじゃくりました。 ラストシーンは、「これは・・・どうなんでしょう?」と正直呆然としましたが、夢見るように美しい宮沢りえさんに、既に言葉を失っていたので、ひとまず・・・ […]