地震の時、たまたま一緒にいてくれたひと。宮城の人だった。
地震のあと、お家へ帰って、きのう宮城から帰ってきたって。
それは、きいちゃいけないかもしれない。そうおもったけど、きかずにはいられなかった。
湾岸線だけ、きれいになにもなくなっていて。なにもしらない人だったら、畑かとおもうかもしれないよ。
道があったあとだけわかるけど、いえもくるまもひとも、その湾岸線からきえた。
その次に眼に入るのは、植木でつくられた防波堤。なぎ倒されたり、わずかにのこったり。
あとはそこらじゅうごみ。
なぜかやねの上に3台、団子みたいに車の上に車が乗っかっているのがあったなぁ。
うちは1階が水没。かぞくは2階で生活してる。
いえの中も外もごみ。いえからだしても、そともごみしかないから、まとめておくけど、もともとはだれかのいえやくるまやふねだったもの。捨てるのもほうほうがね。
いえの壁も壊れてる。でかい余震がきたらいえ壊れるね。
こどもがいえのまわりにいるときにでもこわれたらこまるから、なんとかしなきゃね。
もともとかぞくも避難所にいたんだけどね、帰るところがあるひとは、帰ったり。
帰るところがないひとだけになると、だんだん食事は避難所に豊富にあるようになる。
だけど、プライバシーはダンボールのはしきれだけだったりするからね。
半壊でも帰れるひとは帰りたかったりするよね。
帰ったら、ライフラインがない。
食事は1どだけ1世帯におにぎり4ことペットボトル3本配布される。
たりないけど、プライバシーはあるからね。
これは、yuripiso がきいたはなしのいちぶ。
また、聞いたはなしのつづきをかけたらな、とおもうよ。
yuripiso、ゆいいついえたのは”これからも募金をつづけます。”だけだった。
”かぞくがぶじでよかった!”なんていえなかった。彼のともだち、ご近所さん、故郷は、ぶじではないよ。
”大丈夫!これからです!”なんていえない。これから、1ヶ月後にはみんなの張り詰めた想いがゆるむ。もっとつらくかなしいきもちがあふれる。
だから、これしかいえなかった。”募金をつづけます。ほかに、なにもできない。”
yuripiso なりに、できることまだまだ模索する。
きょうは、地球のためにいのります。わたしたちのくらい夜、被災地のひとがあんしんして眠れるように、いのります。
カリフォルニアにお住まいの方で、こんかいの被災のために何かしたいとおもっている方、いっしょに活動しませんか?
ご提案や、いっしょに何かしたいと思われた方、こちらにメールをおねがいします。
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また、全国版のニュースではわからないことがあります。ラジオ福島による現在の福島のようすです。
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yuripiso